酒田市議会 2019-09-30 09月30日-01号
河村瑞賢は、約350年前、酒田港を起点とする西廻り航路を整備し、酒田に繁栄をもたらしました。河村瑞賢が残した業績は、地域の人々の協力や関係者の献身的な支えがあってこそなし得たものと考えます。令和という新しい時代を迎え、私は、河村瑞賢のように人の和を大事にし、発想力と行動力で酒田市発展への礎を一つ一つ積み上げるべく職務に邁進する所存です。
河村瑞賢は、約350年前、酒田港を起点とする西廻り航路を整備し、酒田に繁栄をもたらしました。河村瑞賢が残した業績は、地域の人々の協力や関係者の献身的な支えがあってこそなし得たものと考えます。令和という新しい時代を迎え、私は、河村瑞賢のように人の和を大事にし、発想力と行動力で酒田市発展への礎を一つ一つ積み上げるべく職務に邁進する所存です。
桜まつりもそうですけれども、園内には酒田の繁栄のシンボルの千石船を浮かべた修景池もございますし、六角灯台ですとか方角石あるいは河村瑞賢の像ですとか29基の文学碑ですとか、やはり魅力ある整備が進んでいると思っております。また平成28年度から工事を進めておりますひょうたん池の周辺では、日和山公園の魅力向上を図るために、湊庭園として再整備を行っておりまして、今年度完成をする予定であります。
さらに、本市を起点として西回り航路を開拓した河村瑞賢公は、北前船寄港地の原点として、構成自治体が同時に紹介することにより、全国各地で改めてこの功績が理解され、ひいては本市の知名度向上にもつながってきているものと、このように考えております。
平成30年は、江戸時代に酒田を起点とする大阪、江戸までの西回り海運を開いた河村瑞賢翁の生誕400年を迎える年でございます。酒田発展の歴史の扉を開いた河村瑞賢、その生誕400年の記念すべき年に、これからの酒田の10カ年のマスタープランであります酒田市総合計画が策定できたことは、酒田市にとって明るい未来への予兆だと私は受けとめております。
みなとオアシスまつりでは、河村瑞賢のふるさと三重県南伊勢町の方々をお迎えするなど、河村瑞賢に着目した交流事業に取り組みます。 庄内空港では、平成29年の搭乗者数が10年ぶりに39万人を超えました。今後は40万人突破を目指し、LCC(格安航空会社)誘致や滑走路2,500m化の実現について、県と連携し市民一丸となって取り組んでいきます。
小項目の2点目として、この北前船の寄港地を定め、最上川の水運を利用し、河口である本市を重要な港と位置づけ西回り航路を確立したのは河村瑞賢であり、日和山にはその像が建立されております。私は、酒田港を一望できる日和山、そして本市に大いなる功績を残した河村瑞賢にもう少し注目して事業を進めることができないだろうかと考えますが、見解を伺います。
具体例で言いますと、東京都北区ですとか武蔵野市、沖縄県東村や今帰仁村、それから、合併前の交流で関係がございます鹿児島県志布志市、あるいは岐阜県海津市、宮城県大崎市、それから、酒がつく町と市ということで、千葉県の酒々井町ですとか、あるいは北前船の寄港地で秋田市を初めとする寄港地同士の交流事業、さらには、河村瑞賢が生誕したという三重県南伊勢町との交流なども、これからは展開をしていきたいと思っておりますし
古くから河村瑞賢が整備した西回り航路の北前船で栄えてきた本市には、海とのつながりは切っても切れない関係であると考えます。現在、酒田港はコンテナ貨物取り扱い量が過去最高となり、定期コンテナ航路が活気を呈し、本市に大きな元気を与えてくれています。また、みなとオアシスは、連日観光客などが新鮮でおいしい魚介類を求めて大変にぎわっています。
観光客にとっては、千石船ですとか河村瑞賢の像を初め、当時のにぎわいぶりや本市の歴史文化に触れることのできる貴重な本市の観光資源だというふうに思っております。
本市と最上川のかかわり及び資源としての最上川についてですが、最上川は、河村瑞賢が西回り航路を開拓し、江戸と酒田が結ばれるようになったことにより、内陸部からはベニバナやお米を酒田に運び、酒田からは塩や木綿、鉄などを内陸に運ぶなど、酒田と内陸を結び、山形県の産業を支え、さらには山形県民の一体感を醸成する重要な河川であることから、歴史的な価値や観光資源としての価値があるものと考えております。
今から330年前、幕府の命を受けた御用商人の河村瑞賢によって開拓された西廻り航路に就航した北前船は、国内物流の海運ネットワーク化をもたらし、日本有数のにぎわいのある港町酒田として、庄内地域や最上川の舟運でつながった山形をも繁栄させたとあります。その繁栄によって得られた富の多くは、日本一の広さのクロマツ林の植樹などの公益のために使われております。